Research vol.4
コミュニティディレクター・福祉環境設計士 藤岡聡子
興味があるのはプロセスとか人と人の間にあるもので、人には興味がない。医療現場に立っている人たちが目の前の人とどう関係性をつくるか。そこにはいろんな方向性があって欲しいし、その全域が「醸す」ということ。
《きゅうかくうしお的醸す》プロジェクトの醸す人リサーチvol.4は、これまで老人ホームやコミュニティスペースなど、人が集まる様々な場所を作って来た藤岡聡子さん。人との関係や場づくりにおける”醸す”とは?を聞きに、共同代表を務める軽井沢の一風変わった診療所「ほっちのロッヂ」を訪ねた。
2022.1.2 SUN TEXT BY JUNKO YANO
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森を切り開いてつくった診療所
ーここに元々生えていた木に番号をつけて管理している「木のマップ」がある。この診療所にいる人の気持ちがほっと溶けるような場所を作りたかったから、ここを建てる時に、どこにどんな草が生えていてどんな木があって、どこにどういう角度で建てれば、出来るだけ木を切らずにいけるか、自然の光が入ってきたときに暖かさが取れるか、を建築家と話した。
軽井沢に昔から住んでる人たちのための場所
ーこの土地に変なものを建てたくない、変に集う場所をつくりたくないと思っていた。
軽井沢ってブランド化されていて、「避暑地」や「別荘地」と聞こえはいいけど、この診療所はその目的で訪れる人たちのために作ったわけではない。冬は寒さも厳しい、そんなこの町に昔から住んでる人たちのための場所。最期まで家で過ごせないという課題も実はあるけど、ブランドがそれを隠している。
診療所のレジデンスアーティストの写真家による写真展(診療所敷地内)
これまでつくってきた場所とここの違い
ー ここだと、まぁいいじゃんて笑えることが、これまでの場だとシリアスで大ごとになってしまう。寛容ではない。
人が多いことで良いこともあるけど、多すぎるがあまりみんなオリジナルが無くてコピー&ペーストだな、と。それが嫌で早くその輪から出たいと思っていた。自分の中ではオリジナルはあったけど、そこにいたら自分もそう思われるんじゃないかという不安があった。
大手マスメディアの取材も受けたりしていたけど、「この場所もう畳むんです」って言うとみんなサーっと引いていく感じとかも解せなくて。「もっと人が来る」「もっと話題性がある」「もっと新しい」ことを要求されて、良いよう切り取れないと離れていく。自分はアンチメディアではないけど、それが合わないんだなと思った。
でもある程度の刺激も欲しい。自分にとって刺激があって、自分で場を耕せて、その地にあったものを自分の力で継いでいける、そんな場所を作るならどこだろうと探していたときにこの場所に出会ってしまった。
だからあえて軽井沢と言わずに”町”っていう。「今日は町にいます」「今日は東京です」って言う、ささやかな抵抗。
なぜ診療所を?
ー 私は「ケアをする人の行為やプロセス」に興味があるから、だと思う。「人」に興味を持つことって全然なくて。
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場や行為に興味がある
ー 例えばBE AT TOKYO(以下BAT)なら、辻本さんが踊ってうわっと盛りあがったりシンと静まり返ったりする「場」に興味がある。ここでいうと、ケアをしている人に興味があるわけでなくケアをしている「行為」に興味がある。人と人がそういう関係性になったときにどういう行為が生まれるんだろうと。
歌でも絵でもなく、私はケアをする人たちの間に生まれる「行為」に興味がある。
ー その興味はケアする人の側に寄っていて、私の中でそれは「ケアする人の表現活動」として落ちている。
両親が働いていた現場を見たい
ー 自分のルーツって誰しもあると思う。自分は父親が医者、母親が看護師・保健師をやっていた。でもその現場は見たことがない。自分が幼かったのもあるし、自分はその資格を選ばなかったし。でも最近「自分はその現場を見たいのかな」と思う。一周回って今、両親が働いていた現場を見たい。
ー ケアをしている人が「何を言わんとしているのか」「何を思って何に向かっているのか」「その人の暮らしをどう考えてどう捉えているんだろうか」を考えるのが好き。その人ではなく、過程や空間が好き。医療って、カタチがあるようで無い、すごいソフトの世界。
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キュアとケアの話
ー キュアはいわゆる救急車で運ばれたりするような、生きるか死ぬか「医療が絶対」の世界。ケアはキュアとはステージが違って、もっと土台の部分、暮らしの現場にある。
例えるなら「キュアとケア」は「救急車と家」。その中で私はケアで行われている行為に興味がある。
ー キュアとケアは主語が違うと思う。キュアは医療者が主語になり、できるできないという判断をする医者や看護師の技量に委ねられる。
ケアの領域は本人が主語。本人が生きる・やめるを決める現場だと思う。どれだけ本人の意思を尊重できるか。
餅つきでいうと、キュアは医者が餅をついてる。ケアは本人が餅をついていて、ケアする側は”合いの手”。ちょっと手を加える人。
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原体験は「父親の死」と「定時制高校」
ー 医者をやっていた父親が小6の時に病気で亡くなった。なぜ人を治す人が死ぬのか、という体験が医療に興味が生まれたきっかけ。ちなみに一番最初の就職先は人材教育の会社。
ー 教育に興味が湧いたのは高校の時。父が亡くなった後、中学もほとんど行けなくなって高校は定時制の夜間に通っていた。田舎の夜間は悪の巣窟で…でもそこで「自分の居場所」をつくることができたから。
ー 中学の時一番辛かった理由は、父が死からくる絶望感以上に、みんなと同じ制服を着ないといけなくなって、自分が何者でも無くなってしまうことへの拒否感。中2〜3の時はほとんど学校に行かず、そこからの夜間。ヤンキーかオタクしかいなくて、自分はヤンキーの部類だった。でもそれがめっちゃ気持ち良かった。「自分は自分でいいんだ」と思えて楽しかった。日中はガソリンスタンド等で働いて、それから学校に行ってたから寝てただけだけど、唯一自分が自分らしくいられる場所だった。
それで「自分の場所をつくることができる教育ってすごいな」と思った。
なので自分の原体験は、父親の死と定時制高校。
ー 定時制を卒業した後、三重県の大学に行って、それから東京の人材派遣会社に就職した。
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モチベーションは上がり続けている
ー ずっと続いている。今3人の子育てもしてるからめっちゃ抑えている。動ける時間は限られてるけど、モチベーションはむしろ上がってる。張り切ってやってるわけじゃないけど…なぜかは分からない。
ー ここの働き手とか人に関わることで嫌なことはたくさんあって、寝たら忘れるタイプでも無い。その場面を切りとると腹が立つことはあるけど、一旦置いておいて、ずっと抱えて、捨てもしない。業務的にその場で決めることは早いけど、リカバリが必要な時にはもはや決めない。そのうちどこかで繋がるんじゃないか、時期が来たらその子は気付くんじゃないか、と考える。
相手が対等な立場の時は「もうあんたとは連絡とらん」と一回喧嘩する。部下ならまずは置く。言うとフェアじゃないから。
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待つしか無い
ー 部下だけじゃなく、自分に見せる顔がその人の全てではないと思っている。心身の不調が出て診療所に来ている状況が、その人の全てじゃないのと同じ。彼や彼女は今、私といる時はうまくいってないけど、他で幸せを感じる場所を持っていてくれよ、と思っている。だから何もしない(笑)。
ー 関係を良くしようとアクションすることは無い。ボタンを掛け違えている状態だから。また一からボタンを掛け直したらもしかしたらうまくいくかもしれないけど、掛け違えている状況でどうにかすることは無い。対等な立場なら納得するまで言うし喧嘩するけど、でもそうじゃなければ待つしかない。
ー 自分対「会社や組織」というときも、話をつけるべきは1対1だから同じ。その積み重ね。いろんな集団の内部関係の課題は、医療チームでも変わらない。
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人が使った言葉は使わない
ー 世に合わせたくないっていう日もあれば、言葉つくらないといけない、という日もある。ある種の抗いとしては「人が使った言葉は使わない」こと、絶対嫌。主語は全部自分で、自分がやりたいことしかやってない。でも急に手放したりもする笑。
既存のやり方や成功パターンも知ってるけどやらないことは多い
ー 本はめちゃめちゃ読む。ビジネス書も絵本も画集も何でも。人との関係づくりや場作りに関して、他の人よりも知ってるけどやらないことは多い。守破離はある。場づくりに関しては本とか書けるくらい知識は持ってる。成功パターンやサイクルは知ってる、でもそれに当てはまらないこともあるから、書いていること以外もやらないと「いい場」は出来ない。
ー うちはここに来たいという学生だけは絶対に断らないと決めていて、その子らは考えが浅いことも多い。やり方を聞かれたら答えるけど、「成功するかは分からん。君浅いから」と言う。浅い理由も伝える。内容やその子自身でなく、その企画を持って来た過程に自分は興味があるから。いいなと思ったことは褒めて褒めて「とにかくやれ!」て言って送り出す。
ー 一番良いのは、この現場が一番楽しくて一番耕しがいがあること。すぐ近くに住んでるから、常にここのことを考えている。両親がやってたであろう現場でやってる人たちの行為にすごく興味があるから、この人たちの考え方をアップデートしていくにはどんな方法があるだろうって考えてる。
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プロセスにある、ゴールではないもの
ー 自分にとっての成功は「ゴールではないということ」。プロセスの中にあるはず。ひとつクリアしたらまた次に進む。ここでいうと、ここで働いている子たちがいい顔をしたら「この場をつくって成功」。いつもいい顔してるわけじゃないから、ひとつの大きな何かではなく、もっと粒子みたいなもの。毎日毎秒て感じ。
ー 例えばある朝の確認会で、看護師の話をよくよく聞いたら、死にかけのじいちゃんとばあちゃんがラブラブだという話を満面の笑みでしていた。その時めっちゃええ顔してるなと思って、「成功だ」と思った。もちろん死んでいくことはあるし悲しむことだけど、死にかけのじいちゃんばあちゃんのラブラブな話ができる。医療の現場だとこんな雰囲気ない。患者の数値を報告する申し送りのような情報共有が普通。でもそうではない自分の感情表現を朝会で共有した彼女に「それや!」と。彼女が表現のタネを見つけたことが成功。
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医者になる人たちに芸術に触れて欲しい
ー 広まったらいいなと最近思うようになった。そのために、医者になる人たちにはもっと芸術に触れてほしい。
東大の医学部みたいな子らほど芸術を見た方がいい。頭でなく、心で分かることが大切。いろんなことが出来てしまうがゆえに、好き・嫌い・悔しい・泣く、といった感情が乏しい。そんな人が医療従事者だったらやばいと思ってる。
ー 医療の現場ってめちゃくちゃ泥臭い。本人ならまだしも、ややこしい遠い親戚とか周囲の人らが出てきて「私が意思決定者だ」とか言うことは本当に多い。延命や遺産についてなど、人が死ぬときに限って人間臭さが出てくる。
ー 私はそういうことをアーティストにも知ってもらいたい。だからBATをやってる。
絵を描いたり音楽をやっていたり、表現活動やってる人で、グッっとくる人に出会ったら、ここに来てもらって一緒にクリエーションできたら嬉しいし、医療や看護を学んでる子達にそれをぶつけたい。
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ストーリーが見えるかどうか
ー その表現を見たとき自分が泣けるかどうか。その人のストーリーが見えるか。
BATに関わって泣いたのは辻本さんの踊りがはじめて。ダンスも何も知らないのに。自分は、作品ではなく、その人がどういう気持ちでここに来てやっているのか、どう生まれたか、というストーリーが大事。きゅうかくうしおでいうと、地鎮パフォーマンスのドキュメンタリーで木を運んでいるシーンにグッときた。
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医者とアーティストは似てる
ー ここの診療所でも似たようなことはある。医者がテンパってる感じと、きゅうかくうしおの予測出来ない言葉や反応、感情の起伏は似てる。
ー 関わる中には反応すらしない人たちもいる。会社員というか組織人だと「訳分からん」というようなこともない。個人で活動している人と組織に属している人とは立場も違って、反応しないことで彼らは自分たちの心を守ってる部分もあるし。医療における組織人はまた少し違って、資格ファーストな人たち。
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医療者が魂を削っていることはあまり理解されない
ー まさに。医療とアートは同じ文脈で語れると思うし、双方にその存在が必要なのではと思ったりもする。浅い/浅くないの基準は、削ってる削ってない、というのもあるかも。
ー 医者が、自分の代わりにガンの告知をしてくれ、と言うこともある。医者だから言えるでしょ、と思うけど、医者も人間。自分の魂を削っている。特にここのチームは在宅医療なので、相手の余命が残りわずかということが多く、本人やご家族にその事実を伝えないといけないことも多い。これは「極限までクリエーションせよ」と言ってるのと同義。何かを削らないとできない。でも「医療者が魂削っている」ということはあまり理解されない。
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医療とアート
ー 「医療とアート」は「具体と抽象」「大衆化されているかされていないか」。医療には治った治ってないという判断基準があるけど、アートにはそれはない。だけど、同じように命を削ってクリエーションしたりキュアやケアをしている。
ー アート作品と言われるものの中には、削ってない・浅いと感じるものもあるけど、このアーティストもきっといつか削る時が来ると思って見ている。削ってない時も人には絶対あるから。医療者の中にも削ってない人はいる。
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温泉に行って調整する
ー 片方だけが削っている関係だと消費される感じになって疲れる。そういう時は温泉に行って風呂場で泣いて、ご飯食べて帰ってくる。そこでチューニングしている。
お互いが削って対峙する分には心地良さがあるけど、それが毎日ではないから、どこかで調整はする。
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ソフトである場づくりに「発酵」という言葉は安易に使わない
ー 「発酵」と言う言葉をいかにケアの現場で使うか、みたいな文脈が流行った時期があって、それに関しては引っかかっていた。他の人が使った言葉をそんな簡単に使うなよといつも思うからだけど。食品など形あるものの発酵はあると思う。でも医療の現場や場をつくることは、ハードに見えてめちゃめちゃソフトで、人と人の間にしか何かがありえない。それを「発酵」とは言えないんだろうなと、その時は思っていた。
一方向では無く、色んな方向性があるその全域が「醸す」
ー 「醸す」に関して今自分が一番気になっているのは、医療の現場に立ってる人たちが目の前の人たちとどう関係性をつくるか。
1回相槌を打ってみる・やめてみる・相槌を打ち続けてみる・それを眺めているだけ、といった”プロセス”が「醸す」なのかなと。
例えば、焚き火の中で燃やされたり燃やしたりしてる酸素や薪がいて、薪をくべる人も焚き火を見てる人も温まる人も焚き火臭いなと思う人もいて、いろんな方向性があるんだろうな、いろんな方向性があって欲しいな、と思う。その全域が「醸す」。
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今回の醸す人 藤岡聡子(コミュニティディレクター/福祉環境設計士)
1985年徳島県生まれ。夜間定時制高校出身。長野県軽井沢町在住。いつも人の流れを考えている、表現の舞台の作り手。変わりゆく髪型は自己表現。
東京の人材教育会社や、介護ベンチャー創業メンバーとして大阪の老人ホーム立ち上げ等を経て、デンマーク留学から帰国後2015年に株式会社ReDoを起業。東京都豊島区にてコミュニティスペースの立ち上げ等を行う。
現在、軽井沢町の診療所「ほっちのロッヂ(2020年開業)」共同代表の他、FM軽井沢新規事業開発者、BE AT TOKYOコミュニティディレクターとしても活動。
共同著書に『ケアとまちづくり、ときどきアート(2020中外医学社)』